Pocha goの人生

人生経験

1994.7.5 新潟市にて産まれる

なんとあの大谷翔平選手と同じ生年月日です。私も大物になれるかも。

3歳 バイオリンを習い始める

まさか今では続けているうえに演奏活動までしているとは誰も思わなかったでしょう。

13歳 中学受験をし、国立中学に通う

この頃は長野に住んでいた。同じ小学校の友達と離れるのは寂しかったが、受験競争に勝ち、地方ながらハイレベルな環境に身を置けることに魅力を感じていた。

14,15歳 全日本合唱コンクール全国大会で2年連続の銀賞を受賞する

この頃の私の中学校は合唱部がとても強く、2年連続で全国大会への出場を果たす。
NHK合唱コンクールの課題曲もアンジェラ・アキさんの「手紙」といきものがかりの「YELL」と、神曲を歌うことができた。
更に、県内のライバル校である伊那市立東部中学校(当時はNコン全国まで進んだ強豪校)には上学年にKing Gnuの常田さん、井口さんがいて同じコンクールで競うというとても貴重な経験をした。あの頃から井口さんの歌唱力は人並み抜けていた。

19歳 国立大学へ入学する

高校時代、特に受験期は過敏性腸症候群と片頭痛に悩まされて、試験中はいつも体調不良で窮地に立たされていた。それでも、諦めずに勉強を続け、国立大学である岩手大学工学部へ進学することができ、合格の感動は今でもよく覚えています。

21歳 地元の国立大学へ3年次編入する

大学生活は一人暮らし、学業も卒なくこなし、サークル、アルバイト、恋愛と学生生活を謳歌していた。ただ、国立大学でもお金がかかることに不安を感じていた。そして、大学院進学も考えていたところ、地元の国立大学で編入枠があることを知る。実家から通えるため、これなら学費とお小遣いがあれば十分だった。レベル的には入学時の大学より偏差値が5高いくらい、日ごろの勉強もぼちぼちできたので、難なく3年次編入試験をクリアした。
編入後の大学は実家から近く、自転車で通っていた。

25歳 大学院在学中に国家公務員として就職する

大学の講義の一環で見学した官公庁の地方機関の業務・施策に強い興味を感じ、大学院在学中に国家一般職の公務員試験を受験する。大学4年次に受験しなかったのは、当時、大学院への推薦をいただけたことと、もう少し学生生活を満喫したかったから。

無事に希望の機関から内定をいただき、就職した。しかし、大学院を中退することに勿体なさを感じた。当時の職場の部長と、指導教授の理解と協力もあり、大学院と公務員の両立が認められた。ちなみに、法的には制約がなく、OKだった。なるべく大学1年のうちに研究と単位取得を進め、両立の2年次には学会発表と研究のみの状態にし、無事に2年で修了した。大学院では学会発表で海外、国内の各所、ゼミ旅行など学生時代を存分に楽しんだ。
何より、この両立で大学入学で遅れた1年を取り返せたことが嬉しかった。大学院と公務員の両立は珍しいようだ。

27歳 憧れの霞ヶ関で本省勤務、初の上京生活

公務員3年目に転勤があり、憧れの霞ヶ関での本省勤務が開始した。配属部署は第一線を行く花形部署であり、業務量の多さに驚いたが、官僚をはじめ優秀な環境での勤務には刺激を受ける毎日だった。
(長時間勤務が続き、精神が疲弊したがそれでもやる気が勝った)

この年、クリスマスに告白してできた彼女が後の妻となる。

28歳 結婚、民間への転職、演奏活動

28歳に入籍する。
また、生産性とスキルアップ、グローバルに目を向けたいため、大企業へ転職する。
東京での演奏活動を開始する。クリスマスでは福祉施設でバイオリンのソロコンサートを行った。

29歳 結婚式、ベンチャー企業への転職

結婚式を挙げる。
よりスキルアップと多くの挑戦ができる環境を求め、ベンチャー企業へ転職をする。

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